愛する神の家族のあなたへ、主の平和🕊️
週末です。今週も神様の御助けと御恵みの故に、ここまで守られました。すべてが主に感謝です。
本日は次の御言葉をもって、神の家族のあなたとあなたの日本とアメリカのご家族の皆様のことを覚えて祈りました。
“パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。
イスラエル人は非常に恐れて、主に向かって叫んだ。そしてモーセに言った。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。
私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」
それでモーセは民に言った。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」”(出エジプト記11:10~14)
本日の本文は、他国のエジプトで400年間の間、奴隷としての過酷な暮らしを強いられていたユダヤ人たちが、神様の特別なめぐみによって、劇的に解放されてから起こった大騒動についての記録です。
アメリカのロスで暮らしの中でも時々の、そこそこの不便と違和感を感じることがありますが、本日の本文のユダヤ人たちは400年間の奴隷生活からの解放だったのに、どうしてこう言う大騒ぎになってしまったのでしょうか。
それは、この度に解放されたユダヤ人の数が、壮年の男子だけ数えて約60万人、そこに女性や子供、そして、その群れに混じっていた多くの外国人を含めると、凡そ約300万人にもなる凄い数だったからです。
神様の御手による御業に耐えられず、この莫大な数の労働力のユダヤ人奴隷たちの出国を許可してしまったエジプトの大様のパロは、すぐさまそれを後悔して、
エジプトから出て行ったユダヤ人たちを皆取り戻すか、もしそれが出来なかったら、他の国のための戦力になれないように、皆殺してしまうつもりで追っかけて来たからです。
なのに、ユダヤ人たちの目の前には大きな海が待っています。そして、後ろにはパロが追っ掛けています。
こう言う状況の中で大パニックになったユダヤ人たちは本日の本文で、自分たちが解放されて自由を得たことを悔やみ、
エジプトでの奴隷生活から自分たちを解放させた神様のしもべのモーセ―に、”わたしたちをこの荒野で死なせるために連れ出したのか、いったい何ということを私たちにしてくれたのですか。"と激しく反発しています。
後へも先へも行かぬの板挟み、進退維谷まる状態で、ユダヤ人たちは子どもたちの見ている中で、自分たちを解放するために命懸けで尽力を尽くしたモーセの前で、
さらには、自分たちを400年間の奴隷生活からの解放というあり得ない大きな御恵みを与えてくださった神様の御前で、絶対に言ってはいけない言葉を平気に口にし、
誰の前でも絶対に見せては行けない恥ずかしい姿を子どもや家族を含むお互いの前で、モーセの前で、神様の御前ですべてさらけ出しました。
彼らの目には、自分の背中を見ている子どもたちも、家族も、神様の器のモーセも、何より、自分たちを解放してここまで導いておられる神様も見えず、
自分たちを追っかけて来る後ろのパロの軍隊と目の前の大海以外には、何も見えなかったからです。
しかし、モーセは違いました。神の人モーセには、追っかけてくるパロの軍隊と、目の当たりの大海だけでなく、
自分たちをエジプトからここまで導いて、今も尚、自分たちのために、自分たちよりさらに必死に働いておられる、インマヌエルの神様を見ることが出来ました。
故にモーセは言いました。「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。
あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない。」
ここに、“黙っていなければならない”と訳されたヘブライ語は、”ハラシ”です。静まる、沈黙するの意味です。
肉眼では見れない、見えない神様の御手の御業を見ることの出来ない人は何時も、何処ででも、誰の前でも絶対に言ってはいけない言葉を口にし、絶対に見せては行けない恥ずかしい行動を皆の前で見せます。
夫婦の間でも、親子との間でも、兄弟・姉妹、親類、親友、同労者、そして、主に在る兄弟・姉妹の神の家族と、神様の御前でも。
神様の御手の御業を見ることの出来ない人が静まる、沈黙する時は、無知のゆえに本当に何も言えない時、そして、卑怯さのゆえに逃げて、自分の責任を回避してずるく立ち回る時だけです。
しかし、生きておられ、今も尚、わたしたちのために、わたしたちよりさらに必死に働いておられるインマヌエルの神様の御手のみ業を見る霊的な目が開かれた人の静まりと沈黙は、神様に対する信頼の故の静まり、沈黙です。
自分の目に今映っているこれらの事柄の背後で、もうすでに自分のために必死に働いておられる生きておられるインマヌエルの神様の御手のみ業を信頼する人は言えます。そして、言います。
自分自身に、そして、自分自身の人生の半径1,3,5メーター以内のすべての人々に、「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、わたしたちのために行われる主の救いを見ましょう。
わたしたちは、きょう見るこのことをもはや二度と、いや永久に見ることはできないでしょう。主がわたしたちのために戦われるから。故に、わたしたちは静まって、黙って、沈黙をもって、
今も尚、わたしたちのために、わたしたちよりさらに必死に働いておられる主を信頼して、そのお方の御手のみ業を待ち望もうではありませんか。」と。
明日の日曜日の礼拝を持って始まります、愛する神の家族のあなたの新しい一週間も、生きておられ、今も尚、あなたのために、あなたよりさらに必死に働いておられる、
あなたのインマヌエルの神様の御手のみ業によって守られ、支えられ、助けられ、導かれる最高の日々でありますように、すべてに勝るイエス様の素晴らしいお名前によって、祝福致します。


